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【心に響く言葉】上善は水の如し



おはようございます。今日は、【心に響く言葉】シリーズで「上善は水の如し」をご紹介します。この言葉は皆様ご存じだと思います。私も何回かブログ記事で取り上げた古代中国の思想家、老子の言葉です。老子道徳経の第八章で述べられていますね。文章の読み下しはこうです。「上善は水の如し。よく万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。」

それでは以下に色々と思う事を書いていきます。私は漢方が専門領域なので、そちらの見地からの話になります。

☆まずは意味を考えてみよう

「上善」というのは、「最高の善行」という意味で良いと思います。で、「水の如し」です。これは後に回します。その後「よく万物を利して争わず」は、「森羅万象全てに恵みを与えて喧嘩をしない」、最後の「衆人の悪む所に処る」は「一般人(普通の人)が嫌だと思う所に居る」となります。ここでのポイントは「衆人の悪む所に処る」ですね。普通じゃないです。もうちょっと考えたいと思います。

☆更なる疑問。「水」とは?何故「悪し所に処る」のか?

 一般的に言われているのは、水は重力に従い下へ下へ行く。最終的に沼地や湿地帯等、ジメジメした所に行きつく。こういう場所は人は行きたがらない。となっています。私は、これをもう少し拡大解釈しています。
 人の行きたがらない所は、皆さんもそうだと思うんですが、ドブ、肥溜め、トイレの浄化槽の中等の臭くて汚い所だと私は思います。もっと言いますと、「黄泉」「死後の世界」等、も行きたくないですよね。水の様に振る舞う事は、その中に居れという事を老子は仰っています。正直かなりキツいなと思います。

☆水のように振る舞うというのは?

 これも実際に行うと難しいのが解るのですが、文章そのまま「柔軟に人に逆らわず、良い事をしながら人が嫌がるような所にも平気で行く。」という事でしょうか。ですが、水は自分からそこに行かず、そこに単に在るだけ、と考えますと、ちょっと意味合いが変わってきます。「水の様に何処に居ても(どのような場面でも)柔軟に振る舞う」と読み替える事も出来ます。むしろ、何処にでも水は存在すると考えると、こちらの方が正しいのではないでしょうか。

☆陰陽五行説の水。五臓の腎。

さて、ちょっと話は変わって陰陽五行説の水の話です。見出しにありますが、陰陽五行説にも水があります。実際は老子の水というのはこちらから見た方が考えやすいのではないかと私は考えています。五行の水は方角で北、玄(黒色)の方向です。五臓で考えると水は腎に配され、生殖や老化、髪や冷え性など、人体の根本に関わる部分です。そして、腎の周りは大腸や膀胱があり、毒が溜まりやすい部位でもあります。
 ここで思い出すのは、老子道徳経第一章の最後「玄のまた玄 衆妙の門」という表現です。老子道徳経は、全て読むと解るのですが陰陽五行説を知りつくしてないと書けない文章です。老子独特の「逆説」とよく言いますが、それは陰陽学説からすると逆もまた真、ということに他なりません。さて、少し前置きが長くなりましたが、この「玄のまた玄~」
というのは、「物事の奥底には、物事の始まりの門がありますよ」という意味です。
 そこまで読み込んで考えると、非常に大切なポイントが浮かんできます。「衆人の悪む所に処る」というのは、物事の始まる所でもあるという事です。株をしていると解るのですが、恐慌で皆が株を売り払った後、滅茶苦茶安い時に買うのが一番儲かります。老子は「衆人の悪む所」が物事の始まりの場所であるという事を知っていたという事になります。

☆実際に上善は水の如しを実践するには?

 で、実際にどうしたらいいかという事ですが、意識を腎臓と腎臓の間に固定して。具体的には、丹田と呼ばれる、臍の下指3本の所に意識を持ってきて腹式呼吸をゆっくりとします。慣れてくると、丹田に意識を持ってくるだけでも大丈夫です。なぜ腎臓と腎臓の間かというと、そこは漢方では「腎間の動気」「命門の火」等と呼ばれる、非常に大事な命の根本の暖気が存在します。丹田に意識を持っていく事で、そこの強化を図る事が出来ます。それに気を付けながら、周りの皆さんの為になる事をしながら心静かに暮らすと「上善は水の如し」になります。ここからは、実際にやってみて感じるのが一番だと思います。「Don’t think. Feel!」ですね。


現在の環境がしんどい方、苦しい方には特にお勧めの方法です。少しでも参考になれば幸いです。

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